2月の試験日まであと2か月。試験を控える者にとって、年末年始をどう過ごすかは重要なポイントだ。
試験を間近に控え、私が考えていたこと、年末年始を過ごしかた、勉強方法について振り返りたいと思う。
試験が終わった今、振り返ると、年末年始に取り組んだ勉強方法が合否を分けるポイントであった。
その取り組みについても記してきたいと思う。
端的に言ってしまうと私は、専門学校の成績が良くなかった。
これまでの学習経験により勉強には復習が必要なことが分かっていたが、仕事と学校の両立では十分にその時間を取ることができなかった。
そのため、分からない部分が分からないまま積み上がってしまっていた。
原因は分かっていたが、対応する時間が足りない状態だった。
もくじ
この記事でも書いたように、師走に入ると街や人々から楽しげな雰囲気や季節のイベントの様子が伝わってきて、誘惑が多い。(勉強中は余計にそう感じる)
「それなら街に出なければいいだろう」と思うのだが、街に出なくとも、今やスマホのSNSからホリデーシーズンにかけて楽しそうな雰囲気を家でも感じることができてしまう。
そんな雰囲気を感じると、冬の寒さも相まってか、孤独感が強まった。そして、「自分も遊びに行きたいな~」という気持ちが強まる。勉強からとにかく離れたくなった。
今は、試験に合格して切羽詰まって勉強に取り組む必要のない師走・年末年始を過ごしていて、楽しそうな雰囲気の情報を見ても「ふーん。こんなイベントあるんだな」とか「お正月映画が公開かぁ」などど、情報として、見聞きすることができる状態である。今振り返ると、資格試験の勉強に取りくみ、資格試験が終わるまでは、見聞きする情報を5割増しくらいで、「楽しそう!行ってみたい」と思っていた。今振り返ると、もともとそれほど興味のないものに対しても、心が躍る気分が働いてたように思う。
勉強しなくてはいけない状態にも関わらず、見るもの見るものが楽しそうに見える状態は辛い。
これまでの経験から、勉強を始める前が一番、勉強をおっくうに思う気持ちが強くて一度、休みたいスイッチが入ると、勉強に心を向けるのが大変だと分かっていた。「まぁ、このくらい休んでもいいか」と思って休み始めたら、もう少し、もう少し、と結局、そのままだらだらと休んだり、出かけたり、勉強以外のことをしてしまい、時間を無為にすることが恐ろしかった。
試験を受ける1年前は仕事をやめ、学校のみの生活であったが、学校に行っていれば、定期テストの勉強をしなければならない。学校が休みになる年末年始は、試験の勉強を集中的にできるまとまった休みだった。休みを利用して試験対策をしなければ。
試験まであと2か月ほどなのだ。本当にまずい。
(※これはコロナ前です)
「とにかく勉強に集中する環境に身を置こう」
そう思って、ホテルに教科書、参考書、問題集などの勉強道具を持ち込んで勉強することにした。
期間を以下の通りと設定し、ビジネスホテルの予約を取った。
- 12月28日~12月30日(2泊3日)
- 1/2~1/5(4泊5日)
年始の方が日数が多いのは、例年、年始の方が遊びたくなる傾向があるからだ。
予約したホテルは、以前に宿泊したことのある場所を選んだ。そこは静かであること、適度な部屋の広さなどから集中できる環境であることが分かっていた。大きな机があって、デスクライトを貸してくれることも知っていた。
年末、人が少ない街を勉強道具でいっぱいのキャリーケースを引いて、ホテルに到着し、ここを根城にして年末年始でこれまで理解していないところをつぶしていくぞ!と意気込み早速勉強を始める。
私は家で勉強をしていると、眠たくなったり、お菓子を食べたくなったり、とにかく集中ができないので、別の環境下に身を置くことが必要だと思った。そのため、ホテルで自ら缶詰めになることを計画したが、
結論から申し上げると、想像以上にはかどった。
その理由は、
「ホテル代を払って、勉強しに来ているのだから、時間とお金と空間を無駄にはできない」
という思いと、
ホテルの部屋の無駄なものが置いていないシンプルな内装
が相まって勉強がはかどったのだろう。
ポモドーロテクニックで休憩をはさみながら(ポモドーロテクニックについては別途書きたいと思う)、
、勉強をはじめてからあっという間に6時間ほどが過ぎた。
この時の私の学習状況は「分からないことが多すぎて勉強が苦痛。科目によっては何が分からないかも分からない」という状況であった。
繰り返しになるが、試験まであと約2か月なのにこの状態は本当にまずかった。自分でもまずいことは分かっていたが、この壊滅的状態がまずすぎて、すぐに現実逃避をしたくなっていたのだと思う。
しかし、このホテルの滞在中、以下のような学習を徐々に進めていくと、「あぁ!そうだったのか!」と膝を打つ体験を重ねるたびに、その知識を試すように問題を解いてみたいと思うようになった。
この滞在で私が行った勉強の手順は以下のである。
- ホテルに、資格の過去問10年分を10部コピーして持っていく。(10年分×10部で”100本ノック”と命名)
(試験科目が複数科目ある場合は、それぞれの科目に対して10年分を10部) - 科目ごとに過去問を閉じるファイルを用意しておく
- 過去問を年の新しいものから順に問題を解く
- マル付けをする。なぜこの答えなのか、ほかの選択肢はなぜ違うのかを教科書や参考書を使って探す
- 問題用紙の余白に答えが導かれるプロセスや、知らなかった単語の意味をメモしていく
- 1~3を10年分行う
- 解いた問題は、問題用意と余白に書いたメモを見返して復習する。
- なお、そのあとすぐに同じ年度の同じ科目の過去問を解くと、問題と回答のセットを覚えてしまうので、違う年度の過去問を解く、あるいは、他の科目の過去問を解く。
- 解いたら、1回目、2回目…と正答率を表に記録していく。
正答率が100%になるまで、過去問を繰り返す。
(10回過去問を解く前に正答率が100%を超えたら、表に達成したことを示すシールを貼り、その科目は一旦終わりとする。) - 1~5をすべての科目が正答率100%になるまで続けていく。
この手順行うことのメリットは、
- 過去問を解くことで試験の実践力がつく
- 不明点が一気にクリアになる
- 間違った問題だけでなく、用語の一つ一つを確認することで、「なんとなく」選択肢を選ぶ、から自信をもって選択肢を選べるようになる
- 過去問を繰り返し説いていくことで、出題されやいすい場所や問題の訊かれ方などの傾向を掴むことができる
(授業で、「ここは出題されやすいよ」と言われるより、同じ問題に何度も出会うことで自分で発見した方がインパクトが強く、頭に残りやすかった) - 問題の余白に書いたメモが自分だけの参考書になる
一方、この手順のデメリットは、
- 問題を解く分量が多いため、取っつきにくい
- 1つの設問に対し、選択肢も一つずつ検証していくため、時間がかかる
(勘により、まぐれで正解した問題もスルーせずに検証していくため) - 正答率がなかなか上がってこないと途中で投げ出したくなる、または、好きな科目を進めがち
(↑正答率を表にして進捗を管理することが大事と気づいた)
ということだ。この方法は手間と時間がかかる。
過去にも同じやり方で進めていたことがあったものの、正答率が上がらず、やる気もわかず、なんとなくやめてしまった。しかし、時間がかかっても過去問を一つずつつぶしていくことが、ただやみくもに教科書を何度も読み返すことなどと比較して、最も効率的だと思った。この時点で、試験まで約2か月。時間がないなかであったが、結果、上記の手順の方法をとって集中的に勉強したことが本当に良かった。
一度挫折した方法を再度行うために、ホテルに缶詰めになった際には以下の点を改善した。
- 科目ごとのファイルを作り、解いた問題をファイリングした
(後から見返した時に「こんなに解いたんだぁ。」と目視できてやりがいがある。またファイリングすることで探しやすく、復習も容易になる) - 正答率を管理する表を作った
(どの科目がどのくらい進んでいないか、どの科目がいい感じに仕上がってきたかの把握ができる。正答率が上がってくるとやる気もアップ) - 正答率100%になった問題は表に達成した印のシールを貼った
(進捗表にシールが増えてくるとうれしい、やる気アップ。
勉強の進み具合で不安になった際に見返すと、「これまで頑張ってきたなぁ」と自信がつく) - 問題を解かなければいけない状況を強制的に作った
(この方法は始める前が一番抵抗が強く感じられるため、取り組みやすい環境、取り組まざるを得ない状況を作った)
試験が合格した後に、何が合否の分け目になったのかと振り返ってみると、集中的に過去問を解いたことだったと思う。
ただ過去問を解くのではなく、以下の5点を行ったことが「分からないことがありすぎて苦痛」という状態から短期間で合格までなんとか持っていくことができた要因に思う。
- 目的を見据え、
- 集中的に問題を解いて、
- 復習し、
- 現在の位置と目標を確認しながら、
- 反復していく
今、振り返って改善点を挙げるとするならば、「過去問100本ノック」にもっと早く取り組めばよかった、ということだ。
これまでの経験と全く異なる分野の勉強を、仕事と掛け持ちしながらしていると、時間的制約から授業の不明点を解消できないまま単元が進み、どんどんと「分からない負債」が積み重なっていってしまった。「過去問100本ノック」によって、もう少し早く「分からない負債」の解消に取り組んでいれば、余裕を持って合否を待つことができなのではないかと思う。
しかし、試験まであと2か月の地点で合格をたぐり寄せたのは、缶詰め状態に身を置いて集中的に勉強したからだと思う。
この約8日間は、きつかったけれど、天国と地獄を分けた8日間だった。
加えて、合否のみならず、自分の中で天下を分けた自分との闘いであったことから、私はこの時のことを「自分的関ケ原の戦い」と名付けた。